コラムこころの理解


第3回「こころとからだの繋がり(心身一如)」

「からだが病めばこころも蝕まれるし、逆に心が病めばからだも不調になります。」

歴史的な概観(こころとからだの繋がり)

昔から私たちは、こころ(魂、精神)とからだ(身体、肉)には互いに関係のあることは知っていました。皆さんは、たとえば「断腸の思い」とか、「怒髪天を突く」という成句をご存じでしょうか。前者は、「とても辛く、苦しいこころの状態」を身体(この場合は腸)で表していますし、後者も激しい怒りの気持ちを髪の毛が逆立つという身体で表現しています。

私たちの身近かな所でも、試験が近づくとおなかをこわしたり、頭痛がでたりする人がいます。これはこころの緊張や不安が身体に表現されたものと解釈されます。また最近「過労うつ」ということがよく言われていますが。一定以上の労働(過労)が「うつ病」(こころの状態)を引き起こすことが分かってきました。

神と仏(超越的な存在)

自然科学的な考え(物質的な因果関係)が浸透している現代ですが、それ以前の私たちの「世界観」は今とはずいぶん異なっていました。大体は「悪いこと」は外からやってくるもので、それは強大な力を持っていました(洪水や飢饉など)。様々な神さまや悪霊たちは外から私たちに災いや福をもたらすものとされてきました。

労咳※という病気なども「業病」などとされ何らかの祟りなのでした。祟られた者は、当時無力な私たちにとってはどうしようもないので世間の交わりから遠ざけられてのでした(村八分)。

今では「病気」とされているものも、その原因もわからず、私たちの力を超えていました。まさに病気でなく「祟り」だったのです。私たちの力や意思を超えた存在によって祟られるがゆえにその回復もまた祈りよってなされざるを得なかったのです。

※労咳=結核(けっかく、Tuberculosis)日本では、明治初期まで肺結核は労咳(癆痎、ろうがい)と呼ばれていた。(Wikipediaより)

こころ(精神)の病の出現

身体の病いですら、その原因が分からなかった時代では「祟り」とされたのですから、精神的な不調(気がふれる)は病気とは見なされませんでした。それはまさに「たたり」であり「悪魔」の仕業なのでした(魔女裁判など)。ですから「治療」ではなく隔離・撲滅することが求められていました。

医療心理学の成立

19世紀になって精神的な不調に生物学的な原因が認められ、やっと精神の病という概念が定着してきました(脳梅毒・甲状腺機能障害など)。さらに、心理的な原因に基づく心身の不調が報告され、医療の世界に「医療心理学」が導入されました(産業医、臨床心理士、社会福祉士など)。

この「こころの病」に関しては、医療以外の分野からの「人道主義(ヒューマニズム)」と「人権意識」が少なからず寄与しています。