コラムこころの理解


第2回「不安」と「うつ」について

人間は誰でも例外なく「挫折」します。そしてそこには「不安」と「うつ」が生まれます。ですから本来、「不安」と「うつ」は私たちにとても親しいことのはずです。しかし私たちは、不安とうつは「不快」と思っているので極力日常の生活意識から排除しようとします。「嫌なことは笑い飛ばそう!」「なんくるないさー」というわけです。しかし人生は、「酔生夢死」できるほどあまくはありません。

これから不安とうつを扱っていく際にいくつかのキーワードがあります。「ストレス」「葛藤」「防衛」「身体化」です。

「ストレス」に曝されてもうつ病にならないひともいるのです。どうしてなのでしょうか。さきほど、人生の「挫折」は避けられないといいましたが、その結果皆が「うつ病」になるわけではありません。

ここに、「ストレス学説」があります。これはハンス・セリエ※が唱えた、ストレスによって引き起こされる生体反応を彼が発表しました。さまざまストレスを与えるものをストレッサーといいます。物理・化学的ストレス、生物学的ストレス、精神・心理的ストレスがあります。

たとえばひとがインフルエンザ(生物学的ストレッサー)に感染したとします。その時ひとによってさまざまな生体反応を起こします。たいがい高熱を出すことによってウイルスの増殖を抑え排除します。そこで体力の低下、免疫能力の低下しているひとは耐えられません。

「うつ」と「うつ病」は同じ?

私たちの生活は決して楽ではありません。生きていくうえで実に様々なことが起こります。自然災害、交通事故から会社の倒産・解雇、人間関係での悩みから自分の性格の悩みなど数えだしたらきりがありません。会社での昇進によってうつ病になってしまうひともいます(昇進うつ病)。しかし私たちは生涯をかけてそこから何かを学びます。

仏教に「生老病死」という教えがあります。私はこれに「うつ」を加えたら良いと思います。その意味は生きていくうえで、うつは避けられないし、かえって人生の「意味」を深めることになるからです。ですからうつは病気ではありませんし、セリエ流にいえば「生体反応」なのです。

「生体反応」として失敗したとき「うつ病」というかたちをとると言えるでしょう。キルケゴールという哲学者は「死に至る病」=絶望と言っています。しかし私たちは「うつ」になることも真に「絶望」することもひどく苦手なのです。

「葛藤」ということ

私たちの思いが「絡み合った蔦」のようにまとまらず、動きの取りにくい状態になってしまうことはよくあります。「ふぐは食べたし、命は惜し」、「寒い冬に2匹のはりねずみが暖をとろうとして近づき過ぎて傷付けたりした結果、お互い適当な距離を保ちました。」この、こころの中での「葛藤」は持続すると次第に疲弊してそのひとをうつに導き、果てはうつ病を発症します。

「防衛」ということ

「過労うつ」ということがしきりに言われています。自分は異常に疲れているのが分かっているのに仕事を止められないのは、セリエの考えではある程度説明がつきます。セリエの言う「疲憊期」まで行くと止められません。しかしそれで全て説明できるでしょうか。いわゆる「プライド」がかかわってはいませんか。「~として」というものです。「東大出身として」とか「電通の社員として」とかいうものです。

それらは普段は「プライド」として、そのひとを守って(防衛して)いるはずなのですが。現代でも「仕事に命を懸けるひと」はいるのです。健康な「防衛」(ユーモア)から不健康な「防衛」(偏見)まで、「防衛」は本来適応するためのものですが、それによって不適応も起こすのです。

「身体化(しんたいか)」ということ

「心身一如」という知恵があります。「心と体は二つでもないし、一つでもない。」相互に密接な関係が「一如」という微妙なことばで表現されています。「心身二元論」ではないのです。例えば、自分がうつ病になっていることを知っているひとは案外少ないのです。

それは、「うつ」といえばこころの状態のことですが、「頭が痛い」「胃が痛く食欲がない」、「動悸がする、心臓が悪いのかも」とまず身体の不調として表われることが多いからです。内科や耳鼻科を受診したあとで、心療内科・精神科を勧められて来られるひとが結構あるものです。

また、自分が「うつ」になっていることを認めたくないことから診療内科・精神科の受診は後回し、しぶしぶという方もおられます。

トピック・時の話題

「過労うつ」はどのようにして起きるのでしょうか。実は「過労うつ」になること自体が一種の「防衛」とも言えるのです。なぜなら、過労うつになって休息すれば次第に回復に向かいます。この「休息」することが正しい「防衛」なのです。

ところが話はそう簡単ではありません。会社の都合で休みが取れない、また自分の都合(これくらいで休むのは自分らしくない)などで正しく自分を守れない(防衛できない)のです。

下のセリエの「全身適応症候群」の「疲憊期」が危ない時期です。ここで適切に休養しないと坂を下り落ち、ひいては「過労死」にいたります。身体は不眠、胃痛、全身倦怠などの悲鳴(信号)を出しているのに、こころが気付かないのです。

「全身適応症候群」(ハンス・セリエ)の図
Selye H: The general adaptation syndrome and the diseases of adaptation. J Clin Endcrinol 6:117-230, 1946.改変

  • 警告反応期:急に仕事が繁忙期に入って、残業も増えた時期に風邪をひいたり、胃痛が表れたりします。
  • 抵抗期:しかしその時期を過ぎると、ともかく繁忙期への過剰な適応が生じます。
  • 疲憊期:適応といっても過労状態なので、長続きはしません。そして繁忙期が続いて休息出来なければ、遅かれ早かれ疲憊期に突入します。うつ状態、うつ病の状態です。

※ハンス・セリエ
ストレス学説を唱え、ストレッサーの生体反応を明らかにした、ハンガリー系カナダ人の生理学者。1929年にプラハで医学と化学の博士号を取得し、モントリオールのマックギル大学に移り、ストレス問題の研究を開始した。1945年にはモントリオール大学実験医学研究所において、40人の助手とともに15000匹の実験動物を用いた研究を開始する。1700にのぼる研究報告と15の学術論文および7冊の本の出版を行った。(Wikipediaより)