メンタルヘルス対策のポイント


過労死を生まない環境づくりという防衛策

皆さんは、過労死を英語ではなんと言うか、ご存知ですか? death by overwork とか death from overwork あるいは job-related exhaustion といった表現もありますが、 Oxford Dictionaries には「過労死」は「karoshi」とも表記されています。「キャロウシ」と発音します。海外では、死にたくなるほど過重な労働に耐えた挙句、最後は死に至るという、日本人の仕事に対する思考や行動に理解ができない人も多いということでしょうか。海外のサイトでも、大手広告代理店の女性社員が過労自殺した事件を取り上げ、「Karoshi crisis : why are Japanese working themselves to death?」という疑問を投げかけるレポートを掲載しています。

私たち日本人は与えられた役割を100パーセント果たそうとします。「80パーセント程度でいいだろう」といった抑制は苦手なようです。超スピードで進められた明治維新の近代化。戦後の焼け野原からの奇跡の復興。さらには高度経済成長時代。「一生懸命、労をいとわず全力を尽くす」ことが良いことだというのが日本のコモンセンスとなり、ある種の同調圧力が常につきまとい、それに従って目標を達成することで人々は評価されてきました。

1964年に開かれた東京五輪の開会式は、過去に例のない完ぺきなスケジュール運営で行われました。日本人は「世界一正確無比な運営だった」と胸を張りましたが、海外の反応は「そこまでこだわらなくてもいいよ」というのが多く、関係者は失望したというエピソードがあります。逆に、海外で列車を利用する日本人がいらいらする経験の一つは、先進国でもダイヤ通り運行されないケースが結構あることです。「乗り遅れないように急いで駅に行ったのに、列車はべた遅れで、しかも駅員は謝ろうとしない」といった経験をした人もおられるでしょう。過度な同調圧力は世界共通の価値観とは相いれないようです。

仕事においても、海外では従業員が残業することを前提とした企業に対する社会的評価は低いのが一般的です。企業には「残業を強いるような経営陣や上司は、人材を適切に運用管理できていない」という批判が向けられます。また従業員は「定められた時間内にできる仕事を与えたのに、完了できなかったのは君の怠慢か、無能のせいだ」という評価をされます。企業によっては、残業した社員の給与をカットするところもあるようです。「君が時間内に業務を完了できなかったから、会社は損害を被った」という考え方です。残業はやるけれど、残業手当をもらうのは当たり前だという日本の企業風土では、とてもそうした考え方は受け入れがたいでしょう。

しかし残業そのものは断りにくい。「俺たちが若いころは、こんなもんじゃなかった」と檄を飛ばす上司に内心不満はあっても「従わないと人事考課に影響するのではないか?」と心配しながら、無理をして働き続ける。そして過労に陥るのです。分かっていながら、いつの間にか精神的にがんじがらめになり、道を見失う。無責任な人が、過労自殺のニュースを見て「自殺するくらいなら、会社を辞めればいいのに」と言ったりします。それができない「こころの病」になってしまっているから問題なのです。この重たい課題は、弱い立場の従業員が変革するのは現実にはとても難しい。力関係で上位にある雇用する側の意識改革が必要なのです。とりわけ、発症者を見つける、発症者はできるだけ早く治療を受けさせる、といった認識では不十分です。今一つ踏み込んで、「極力発症させない」環境づくりが必要なのです。